4章-うつ病と付き合いながら、社会復帰するポイント(6/7)
「うつ病」オープンにしての社会復帰
「うつ病」をオープンにして障がい者雇用枠での就労を考えてみました。皆さんの目にはどのように映ったでしょうか。少なくともバラ色の方法とは言えないのではないでしょうか。
しかし、私は「うつ病」をオープンにして、障がい者として就労することを選択しました。考え方を変えたことが大きいのではないかと思っています。
① スキル・キャリアが活かされるとは限らない
⇒今までの働き方を変えてみる機会にする。
私の「うつ病」の発病前の考え方は、やりたいことを一生懸命やる⇒スキルUP⇒市場価値のUP⇒年収UP=自己実現という考え方で働いてきました。ですから、スキルUPのために、四六時中働くことも厭いませんでしたし、それが自分にふさわしい生き方だと思ってきました。しかし、自己実現が必ずしも大切なことを守ることにはならないことを、身を持って知りました。自己実現といえば、聞こえが良いかもしれませんが、要は妙な功名心であったり、自己満足であったりするだけだったかもしれません。そのような価値観をもう一度見直す機会となりました。4年前、「うつ病」をクローズにしての転職活動をすれば、おそらく内定は取れていたと思います。しかし、その後の人生で再発を防ぎながら安定的に働けていたかは自信がありません。おそらく再発をしていたのではないかと思います。また、家族を思う気持ちなど、病前では見失っていたことを見直すこともできました。
キャリアが活かせる仕事ではない。これは本当に悔しい思いです。しかし、大きな意味でキャリアは活かせるチャンスはやがてやってくるかもしれません。また、本当に大切なことに気付いたことは人生にとってプラスになったのではないかと思います。
② 年収が下がる
⇒本当に必要な年収を見極める(生活をダウンサイジングする)
私はこの会社に入って大幅に年収が下がりました。でも、家を失ったわけではありませんし、それほど貧しいという状態にはならずに済んでいます。これは、妻が働き続けていることはなによりも大きいです。しかし、いつでも自分の年収だけで家族を養えるというような驕りを捨てれば、家族4人で幸せに生きていくために最低限守らなければならない年収とはそれほど多くはないのだと気づきました。上を見て走り続けていた時には常に不安感が一杯でした。いつ脱落するのではないかとそればかり考えていました。しかし、ふと立ち止まってみるとそれほど焦る必要はなかったのではないかと今は思えています。年収は下がりましたが、安心は逆に上がりました。私のケースはレアケースかもしれませんが、事実ではあります。
③ 自分自身を障がい者として受容できるか
⇒今できることに集中する
障がい者として生きるということを受け入れられたのは、やはり「周囲のサポートがなければ、安定的に働けない」と思ったからです。別に健常者だって一人で生きている訳ではありません。そう考えるとこれからはどうなるか分からないが、サポートを受けながら今できることことに集中することが大事なのだと考えるようになりました。病前は、40歳になったらどんな仕事をしていて、50歳になったらこんな立場になってと先のことばかり考えていたように思います。それで、だから今はこれをしなければ生き残れないと焦っていました。森田療法でも強調されていますが、人は今しか生きることはできません。今この瞬間の連続が未来であり、未来のために現在があるのではないのです。だから、今こうして生きていることに幸せを感じてもいいと思います。そんな心の余裕ができてきました。
私の考え方の変換はこのような感じです。こればかりは皆さん自身で答えを出すしかありません。でも大切なことが一つあります。それは自分で決めることです。自分で決めなければ、納得感もありませんし、後悔をしたり、人に責任転嫁をしたりしてしまうでしょう。
自分の人生の作者は自分です。自分の歩む道は自分で決めなければなりません。ただし、周りの人々にはよく相談をしましょう。一人で生きている訳でなないのですから。