2章-精神障がい者としての就活(4/7)
第4話 ハローワークで障がい者として求人を探す
障がい者となった私は、ハローワークで障がい者専用の窓口に相談することができるようになりました。
まず、障がい者の求人をシステムで検索しました。そして、大変驚きました。求人が多いのです。しかもその職種はほとんど内勤・事務関連です。ほとんどのものは経歴不問で40歳以下ならかなりの数がありました。超大手企業の子会社などが含まれ、経営的にも安定していそうな会社の求人が多数ありました。「これなら行けるかもしれない」と思いました。
そもそも障がい者として入社するわけですから、「うつ病」の転職の大きなテーマである病気をオープンにするかクローズにするかという選択では、オープンを選択したことになります。オープンにする事そのものには、あまり引け目はありませんでした。なぜなら、私自身決しておかしな病気になったとは思っていませんでしたし、適切な仕事を与えてもらえればそれなりの成果はだせるのではと思っていたからです。また、私の最悪のシナリオである「再発」を防止しながら就労するためには、治療は継続しなければなりませんし、その他就労時間などの配慮ももらわないといけないと考えていました。このタイミングでは、「うつ病」をオープンにするメリットばかりが私の認識にはありました。
当初は健常者としての社会復帰も検討していましたが、前職の退職理由をどのように説明するか、入社後の体調不良をどのように克服するか等を考えるとなかなか難しい問題です。「うつ病」は社会的認知を得られてきた病気ではありますが、それでもこれは大きなハンデキャップです。「うつ病」をオープンにしてかつ健常者としての就職は、よほど出来る仕事の専門性が高く、しかも再発のリスクが低いことを十分に説明できなければやはり難しいでしょう。ちょっと別の視点ですが、住宅ローンの借り換えを検討した際に、保険の見直しも併せて検討しました。そのときのファイナンシャルプランナーに国内では死亡保障の入った保険は、入院歴・服薬等があると審査が通らないといわれました。つまり、この病気だと国内ではほぼ100%審査が通らないそうです。「うつ病」はそれほどリスクの高い病気なのです。昔のスキルを活かしつつ再発を防ぐというのは、両立は難しいという気持ちになっていました。
障がい者としての求人案件を検討するうち、やはりネックになったのは年収のことです。求人は確かにかなりあるのですが、やはり大卒初任給ぐらいの水準がほとんどです。病気になる前の前職では、それなりの経験を積んだコンサルタントでしたから同年代の平均水準よりは高い年収を得ていました。この面に関しては、随分悩みました。やはり、今まで5~6年頑張ってきた専門知識やスキルがまったく活きないことは、この領域でプロとして自立することを考えていた私にとっては、大きな挫折感や敗北感を感じずにはおれませんでした。
しかし、私が恵まれていたのは、妻がフルタイムで働いていることでした。妻の年収もけして高くはありませんが、2人でフルタイムで働けば、なんとかローンを返済しつつ、生活していけます。「お金のことはなんとかなるわよ」という妻のことばが、この問題をいったん棚上げするきっかけになりました。
そして私は次のような言葉を胸に精神障がい者としての就活を本格化させていきました。
「まずは新卒になったつもりでスタートしよう」
「It's not too late to start over.」(米語 start はもちろん始める、over はたとえば game overなどのように終わりの意味がある。終わりを越えてはじめるという意味でstart over はやり直すという意味。)