1章-うつ病を発症~克服の第一歩を踏み出すまで(5/5)
第5話 本当に恵まれた環境で療養生活ができた
2006年秋以降、本格的療養生活に入り半年が過ぎようとしていました。気が付けば一季節を超えて、蒸し暑い夏がやってきました。
退職をした私は、日々リハビリの毎日を過ごしていました。 このころになると、自分がいかに無茶なチャレンジをしていたか、また、勝手に自分で自分を苦しめていたことが分かってきました。そして、この療養生活で如何に自分は恵まれた環境で療養生活ができているかを、感謝できるようになってきました。
まず、感謝しなければならないのは妻です。仕事・家事・育児を切り盛りしながら、明るく生きている。大変楽天的な彼女にしても、私の発病は晴天の霹靂だったでしょう。私は転職するにしてもすべて事後報告です。自分がやりたいと思ったことはなんとしてもやります。こんな頑固な私の性格を熟知しているので、仕事に関して何もいうことはありません。ただ、「うつ病」が極期のときに、妻は私に断言しました。「長いことあなたの妻をやっているから、よく分かる。あなたは必ず治ります。」と・・・入院中も毎日同じ時間に家に電話をしていましたが、必ず「明日も電話を待っているからね」というのです。こうした何気ない一言が私を絶望の淵から引き返す大きな力になりました。
両親には本当に心配かけっぱなしでした。大病ということとはまったく無縁で大人になりましたし、明るく快活な性格であった少年期を見ている両親にとって私がまさか「うつ病」になるなんてと思ったようです。また、妻にすら事後報告なのですから、成人したあと自分の仕事の事やこれからの行きたい方向などは全くといっていいほど話していませんでした。能天気に「本ができた」なんて、いいことばかりなんとなく話していて、大切なことは何も話さずじまいでした。それでも両親は、入院後も本当に頻繁に見舞いに来てくれました。そして、1時間の外出が許されると、親子三人で近くのすし屋に行って昔話をしました。
入院環境も恵まれていました。大変優れたスタッフたちに囲まれていました。とくに、お世話になっていたのは看護師長さんです。不安でたまらない時、忙しい中時間をとっていつも話を聞いてくれました。「鈴木さん、大丈夫です。ゆっくりでいいですよ」繰り返し話してくれたその言葉で落ち着くことができたのです。
退院後に通い始めたカウンセラーの先生にもお世話になりました。自分の心の奥底にある気持ちを引き出して頂き、不安な気持ちを不安なままにあるがままに受け止めるそんなことが大事なのを感じさせてもらいました。カウンセリングの面談がおわるとふっと軽くなった気になりました。
そして、何より勇気をもらったのは子供たちです。前述した息子と2歳の女の子です。まだ、入院ということをよく理解できない下の娘は、見舞いに来るたびに病室を出る私に向かって「おとうちゃん!」と叫んで走ってきます。そのかわいさは、ささくれだって不安いっぱいの心に希望を灯しました。
この子たちをおいてけぼりにして、私は何をしていたのだろう。一番大切なものは何かを見失っていたことをつくづく思い知らされました。
「本当に大切なものに気づく」。
それが、「うつ病」からの克服の第一歩になるということを少し理解した日々でした。