1章-うつ病を発症~克服の第一歩を踏み出すまで(2/5)

第2話 「うつ病」の症状にのみこまれる

2006年秋、「うつ病」との診断を受け、休職することになりました。休職する前の状態は本当に酷いものでした。

まず、不眠になりました。とにかく、仕事のことが不安で一向に眠れません。寝つけないし、寝つけてもすぐ目が覚めてしまいます。眠れないので疲れがとれません。一日中だるく鉛を体に括り付けられているような感じです。
次に、じっとしていられないような不安感、焦燥感です。このままどんどんダメになっていくのではという思いにかられ、それが自分の無能感に拍車をかけます。これが「こんな俺がいるから今プロジェクトがうまくいかないんだ」「こんな俺がいるから、営業が進まないんだ」という根拠の薄い自責感です。
こんな状態の私を見かねて、同志の彼は少し休むようにしきりに私を説得しました。「十分プロジェクトは回ってるよ」「営業もすぐに成果がでないのは織り込み済みだし、俺が東京の責任者なんだから勝手に背負い込むな!」と掛けてくれる言葉もすべて裏読みをしてしまいます。
ちょうど急な坂を自転車で上っている感じです。進まないのだけど歯を食いしばってペダルを踏まなければ、一気に坂の下に転がり落ちてしまうという恐怖感です。
それでも、私は毎日文字通り一生懸命に仕事をしました。とはいってもそんなコンディションではいい仕事ができるはずもありません。
そのうち自分でも自分の行動を制御できなくなってきました。突然ガタガタと震える。座っているとザワザワと胸騒ぎがしてとてつもない不安感に押しつぶされそうになります。まったく食欲も湧きません。
そんな状態でしたから、私の仕事に対して決して何も言わなかった妻が、クリニックに一緒に行くと言い出しました。そして、ドクターから「うつ病」は、一定期間の休息を取らなければ治りませんよと言われました。私は診察室で頭を抱えながら「やっぱり休まなければいけませんか・・・」と呻いていました。

診察が終わったあと、妻だけドクターに呼ばれて、話をしていました。その時の私はただただ放心状態で、いよいよこれでまっさかさまに落ちていくんだと茫然としているだけでした。そのとき妻はドクターと何を話していたか、それは症状が随分良くなってから教えられました。「鈴木さんは本当に仕事好きです。その仕事を休むことを自分で受け入れられないと自殺するかもしれません。注意してください」と妻は言われたそうです。気丈な彼女はそんなそぶりも見せませんでした。毎朝、仕事に行くとき私を見て、「ちゃんと待っててね。約束だよ」と言って出勤していきました。後で聞いた話ですが、妻はこんな戦略でこの言葉をかけていたそうです。「まじめなあの人は何より約束を守らないことを一番嫌う。それなら毎日、待ってるということを約束させれば自殺はしない」。

休職して自宅療養をしていると母が通って看病をしてくれるようになりました。とにかく今は休みなさいとだけいい、私の好物を作ってきては食べさせてくれました。
しかし、一向に症状は改善しません。特に希死念慮がどうしても頭から離れないのです。「あの物干しにベルトを括り付ければ首をつれるな」「あの歩道橋から落ちれば死ねるな」とにかくいつも死に方ばがりが頭をよぎります。
「なんでうつ病みたいな病気になってしまったのだろう」「いっそ不治の病とかにならないかな。そうしたら、自分の生命保険でローンも返せるし、こんな働けない父がいるよりよほどそのほうが子供たちにとってもいいはずだ」

自殺の危険が高いということで、自宅療養ではこれ以上の改善は困難と入院を勧められました。家族の熱心な勧めもあり、市内の精神科専門の病院に入院しました。
2006年の冬。そんな状況で激動の一年は暮れていったのです。

アビスタポイント

※1:最も辛い急性期の時期に、家族という自分を支えてくれる存在があったこと、そしてその家族を大切に思い、こうやって感謝の気持ちを振り替えられるということが鈴木さんの素晴らしいところです。回復された今でもきちんと生活面の支援を受けられていることが、就労においても大切です。