3章-うつ病と付き合いながら、働き続ける意味(4/6)

第4話 次々と電子化業務が広がる

契約書の電子化業務が運用に乗り始めた2008年夏、また大きな転機になる仕事が始まりました。それは、自分の部署で管理する書類を電子化するという内部プロセスの変更ではなく、電子化作業そのもののアウトソーシングでした。この業務は顧客がカスタマーと結ぶ書類を電子化し、顧客が既存で持っている基幹システムが持っている顧客コードと紐付けて電子ファイルを納品するというものでした。

この業務はかなり大きな業務で、グループのメンバーの全員に毎日一定時間の工数を捻出してもらい、実際の基幹システムの顧客コード検索をしてもらいました。しかも、顧客が想定した書類数より大幅に多くあることが判明してきて、緊急で派遣スタッフをアサインするような仕事でした。このような対応スタッフの仕事のコントロールをするのが私の仕事でした。
また、この仕事を難しくさせていたのは、顧客の要求仕様がなかなか定まらず、打ち合わせをするたびに要求が変わることでした。その度に顧客との折衝や社内スタッフの調整に大変な労力を使いました。このような顧客との交渉事はなかなかストレスの溜まるものでしたが、この仕事のサポートをしてくれている派遣スタッフの方が、本当によく支えてくれたので何とか完遂することができました。私はこの業務の成果を評価され、新人賞を受賞することができたのです。
このように、顧客の資料を保管する手法としての電子化が、電子化そのもののアウトソーシング業務として我々のグループの新しいサービスとなっていきました。その後も順調にこのサービスは広がっていきました。社内の重要会議の資料やカスタマーのアンケートなどその対象範囲は広がっていき、私はそれらの業務の立ち上げにほとんど絡むことができたのです(※1) 。

仕事の地盤を少しずつ固めていくことができましたが、一方で「うつ病」が寛解したわけではありませんでした。朝が厳しいのは引き続いていましたし、再発防止のためにまだかなりの量の抗うつ剤、抗不安薬、睡眠導入剤などを飲み続けていました。やはり、「うつ病」の波はありますし、残業は3年近くゼロ時間で、できませんでした。それでも「うつ病」をオープンにしていたことで、周囲の理解やサポートが受けやすくなりましたし、残業は基本しないということが周囲に了解されていたからこそ、周囲との関係も良好に保つことができたのだと思います。

しかし、まだまだ自分の仕事を誇れる気持ちにはなれないでいました。前職の仕事は市場性もあるし、顧客である経営者・管理職の方々へ業務改革を提案します。大変ハードでしたが、エキサイティングな仕事です。また、昔の同僚の活躍を耳にすると彼らとの比較でどうしても、自分の仕事がつまらなく思えてしまうのです。仕事の実績&年収=仕事の価値=自分の人生の成功モデルという等式を自分の自己実現として価値観が出来上がってしまっていた私にとっては、時として新しい天地でのこのような仕事を自分自身で評価できずに、かなりの期間悩みました。

アビスタポイント

※1:AS社の総務機能を担うASサポート株式会社で、紙で保管してあった書類をPDF化していくというサービスを、鈴木さんが中心となってすすめられたようです。新人賞というのは、グループにとって有益な働きをした入社3年目未満のメンバーを表彰する賞です。