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「うつ病」就職体験記 「うつ病」就職体験記

第1章 うつ病になってしまった( 1 / 5 )

第1話 こんな仕事をしていました

私の経歴を簡単にお話したいと思います。1995年大手電機メーカーに就職しました。この企業を志望した理由は、ITを活用して今後企業はどんどん変わっていく、そんなクライアントを支援をしたいと思ったからです。入社して最初の配属はパソコンの生産管理業務でした。数年間、生産管理の実務を経験した私は、かねてからの志望であったITの導入検討をするクライアントの支援をするコンサルティング業務に就くことになりました。

そのコンサルティング活動を通して充実した日々を送っていましたが、ITを導入することだけがクライアントの問題解決ではないと思い始めていました。いうまでもないことですが、ITを導入するためのコンサルティングなので、ITが必要ないということは私の出番はないということです。

こんな思いから、ITを前提にせず直接クライアントの経営課題に取り組むコンサルティングがしたいと思うようになり、ベンチャーの経営コンサルティング会社に転職をしました。そのコンサルティング会社では、一つ一つが大変勉強になる環境でしたが、経営環境が非常に厳しいものでした。私が入社してわずか2年程度で売り上げが半減し、私の事業部のコンサルタントはほぼ全員退職してしまった

その時、このコンサルティング会社で同志の彼と出会いました。彼は大変能力が高く年齢は私とほとんど変わらないのに、既に業界の有名人でした。しかも人間的な魅力も溢れていた彼はともに歩む仲間であり、私の目標でもありました。そんな彼から、昔の上司が起業した地方のベンチャー企業が今回東京進出を目指し、東京オフィスを開設しようとして、彼にその仕事を任せたいという話がきているとの話を聞きました。彼は「鈴木さん一緒にやろうよ」と声をかけてくれたのです。経営不安があるコンサルティング会社の未来に悲観的であった背景もありますが、何より尊敬する彼とともに自分たちの会社をゼロから始めるという、そのロマンティックな夢に完全に魅せられてしまいました。

2006年の春、二人は大きな野望を胸にスピンアウトしたのです。そのベンチャー企業は物流改革のコンサルティングとIT構築を行う企業で、毎年2ケタ成長をつづけ、数年後には店頭公開を目指している。そんな野心的企業でした。

私は、元々生産管理が専門です。でも、コンサルティング会社で培った能力があれば直ぐに物流改革を目指すコンサルティングもできるだろうと高を括っていました。そして、二人で東京のレンタルオフィスの一部のパーティションに区切っただけの小さなオフィスで船出をしました。当時の私のタスクは、物流改革のコンサルティングを行うことと東京の市場開拓でした。

まさに、四六時中仕事をする日々が始まりました。二人きりのオフィスですし誰の目もあるわけではありません。私たちを縛るのはミッションだけです。そもそも、ノートパソコンがあればどこでも仕事ができます。出社する必要なんてないのです。

コンサルティングプロジェクトをマネジャーとしてハンドリングする役割でしたが、このプロジェクトで始めて物流の現場をみるようなそんな実情にもかかわらず、この道何十年というクライアントを前に改革活動を支援しなければならなかったのです。とにかく毎回のミーティングが本当に針の筵(むしろ)に座りながらなんとかこなしていく、ギリギリの状況でした。ミーティングが終わった後は「今日も何とか持ちこたえた」という脱力感だけでした。

一方、営業はというと、店頭公開を目指して、大変高いノルマが課せられました。それに対して、これまでの人脈にアプローチをしたり飛び込み営業をするかたわら、セミナーを企画したり、雑誌に改革事例を紹介したり、本を出版したりととにかく考えられるすべての取り組みを行いました。しかし、営業活動の成果はなかなか上がりませんでした。

そうしたなかで、私はとにかく「焦り」ました。このままでは・・・、このままでは・・・・と焦れば焦るほど、仕事にのめり込んでいきました。まさに、起きている間はいつも仕事のことを考えていました。たまに夢でも仕事をしていました。

そのうち、どうしようもない不安感、自分のミッションを果たせない無能感、会社の同僚や彼に対して申し訳ないという自責感などが心を覆うようになりました。気が付くと涙を流しながら、謝ってばかりの日々です。

こんな状態ではこのようなチャレンジングな仕事ができるはずもありません。

2006年秋、「抑うつ状態 長期間の休職をする必要がある」との診断がおりました。私と「うつ病」との付き合いはこうして始まりました。