3章-うつ病と付き合いながら、働き続ける意味(2/6)

第2話 働き始めてのいろいろ

最初にもらった仕事は機密文書の管理データベースのクリーニングでした。数万レコードある顧客情報を紙ベースでクリーニングしたものを、一つ一つデータベースに入力していく仕事でした。この仕事の納期は曖昧で、半年以内にできれば良いというものでした。「うつ病」で仕事力が低下していた私にとって、なんとかできる仕事でした。
実際、お客さんに会わなくても良く、時間内に座ってPCに向かってデータを入力すれば良いという仕事は「うつ病」の人が最初に取り掛かる仕事としてはうってつけでした。だいたい3ヶ月ぐらいこの作業をしていたかと思います。
しかし、「うつ病」を患った人にしかわからない感覚かと思いますが、とにかくイヤーな胸騒ぎがして、とにかく落ち着いて座っていることができなくなることが度々ありました。その感覚を言葉にするなら「わさわさ」という不安感が心に積もる感じです。どうしても我慢できなくなると、頓服で処方された「抗不安薬」を飲みました。それでも、治まらない時は、上司の許可をもらってオフィスの近くの隅田川まで散歩しました。このときの自己嫌悪感はなんとも言えないものです。「こんな仕事もこなせないなんて・・・」という感じです。
入社前はとにかくできる仕事から、ゼロからはじめればいいと思っていましたが、実際働き始めるとどうしても病前の仕事のイメージと比較して随分みじめな気持ちになりました。元々こうしたコツコツと単純作業を積み上げるような作業は昔から苦手で、モチベーションを高く保つことができません。しかし、客観的にもこのような仕事しか出来ないのも一方の事実です。この現実を自分の中で納得させることは大変難しかったことを思い出します。

その時に自分に言いきかせていたのは、「あとで」でした。あのベストセラーの「ツレがウツになりまして」のツレさんのコラムであった言葉です。「あ」 あせらない「と」 特別視しない「で」 できることからまさに「あとで」を実践する日々でした。

また、「うつ病」は日内変動が大きい病気です。一般的に朝には調子が悪く、午後になるとだんだん改善していきます。もともと朝が強く、朝型の私でも毎朝とにかく辛かったです。普通なら朝起きて朝食をとってすぐに出勤するのが普通でしょうが、起きるのに大変なエネルギーを必要としているため、そのまま出勤ができず15分横になります。そんな習慣がずっと続いていました。このまま寝込んでしまうことも何度かありましたが、その習慣はどうしても止めることができなかったのです。とにかく朝の辛さはそのくらい休憩をしながらでしか出勤できませんでした。
そんな状態でもなんとか出社出来ていたのは、おそらくギリギリのところで休める逃げ道を作っていたことだと思います。疲れがひどくて起きることができない時は、休むのが仕事だと思うようにしていました。「うつ病」は良い時も悪い時もある病気です。昨日できていたことが今日できなくなることもしばしばです。会社の上司・同僚はそのようなである私を理解する努力をしてくれていました。やはり「うつ病」からの社会復帰にはそのような周囲の支援が欠かせないと思います。