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「うつ病」就職体験記 「うつ病」就職体験記

第1章 うつ病になってしまった( 3 / 5 )

第3話 「うつ病」は特別な病気ではない

2006年冬、市内の精神科の専門病院に入院しました。

最初に入ったのは閉鎖病棟。入念な持ち物検査で刃物、突起物、紐類など自殺できそうなものはすべて家族が持ち帰りました。病室の窓はこぶし一つぐらいしか開きません。当然飛び降りを防止するためです。 一方、入院前にイメージしていた精神病院のような陰湿な部屋や鉄格子などはなく、スタッフの皆さんも笑顔を絶やさないそんな環境でした。

2006年の日本は戦後最大の好景気といわれる中で、好景気に沸いているのは一部の人たちで世の中は「勝ち組」「負け組」という言葉が何の事象でもついて回り、常に負け組になるのを恐れてなんだがピリピリした空気が占めるそんな年でした。

私はいわば完全に「負け組」でした。とにかく生きるのが辛くて仕方がありません。しかし、入院早々うれしいプレゼントが荷物にひっそり入っていました。それは、10円のコーラガム27個がたどたどしいメモとともに袋に入っていました。「おとうさん、これたべてください」小学校1年生の息子からでした。父親がなぜ入院するのか、きっとよく分かっていなかったとは思いますが、今回の入院が只ならぬことを感じ取っていたのでしょう。それを握りしめ泣いたのを思い出します。

入院してしばらくすると入院生活に慣れてきました。その病院では「うつ病」を対象にした集団療法が盛んに行われていました。これは、「うつ病」を患って入院した患者が、10~20人ぐらい集まって、自分たちでテーマを決めてお互い話し合うというものでした。医師、看護師、臨床心理士など病院のスタッフは同席しますが、あくまで話を聞いているだけです。最初はとにかくその時間が苦痛でした。そもそも「うつ病」になると人と話すことが辛くなります。ましてや相手はうつ病患者です。今までお付き合いもしたことのない方々です。でも、そんなグループを見てみると本当にいろいろな人々がいました。育児・家事に妥協ができない完璧主義の主婦、フランス留学中にパン作りに目覚めパン屋を開店したが倒産してしまったパン職人、地域でも評判だった床屋さん、シングルマザーで安定剤を大量に服薬して自殺を図った看護師、老舗のお菓子屋の会長さん、画家、通訳など、本当にいろいろな経緯でここに集まって話をしているということが不思議でした。

自宅療養しているときは、自分ひとりこんな情けない病気になって、世の中に申し訳ないとばかり考えていました。しかし、本では読んでいましたが、うつ病になった人が本当にたくさんいることを肌感覚で初めて理解できたのです。集団療法はいつも心の奥にしまっていた感情や思いや違和感を吐露しあう大変重たいものでしたが、自分が特別ではないという事が理解できました。

また、その病院は作業療法が盛んで、体操・工芸・書道・料理・合唱・カラオケなどいろいろなメニューがあり、少しずつ楽しくなってきました。

しかし、「うつ病」は波があります。調子の悪い日は、ほとんど何もできないそんな日もありました。一体こんな生活がいつまで続くのだろう・・。こうしている間にも、一緒に会社を始めた彼は頑張っているはずです。お金のことも心配でした。

しかし、夕食後なんとなく談話室に集まる入院仲間との会話は、お互い似たもの同士だからでしょうか…これまでの治療では感じられない安らぎや労りあいなどが積み重なっていきました。

カラオケの作業療法で、ちょっとした流行がありました。それは中島みゆきさんの往年の名曲「時代」の替え歌です。

今はこんなに悲しくて 涙も枯れ果てて もう二度と笑顔には なれそうもないけど♪
「うつ」の時代もあったねと いつか話せる日がくるわ♪
「うつ」の時代もあったねと きっと笑って話せるわ♪
だから今日はくよくよしないで 今日の風に吹かれましょう。♪

みんないい人たちでした。ちょっと生き方が下手な…でも優しい人たちばかりでした。みんなは今どうしているのだろう?「うつ病」について、私のように話せる日がきたのだろうか。